なぜ改善しないか?と悩む方が多いです。
答えは、本当は簡単。
弱いからです。
怒らないでくださいね。
そもそも、自然界の一員として、原始生活を送っていた人々は、生きるためには強くなければ猛獣に食われてしまうのであって、また病にかかって死んでしまうのであって、強いことは絶対に必要なことと認識されていました。
強い男は、親族を危険から守れたでしょうし、女性は強い男を頼りとして、その子を授かろうとしたことでしょう。
強さを身に着けることが成人の証であり、それぞれの部族では、強さの証として、苦痛を伴う色んな儀式がありました。
強さは、まさに苦難、苦痛に耐え、守るべきを守り、手に入れるものを手に入れるために必要な肉体的、精神的に発達した力のことです。
この力は、じっとしていても身につくものではないです。
苦難、苦痛に立ち向かっていくことで、その経験の分だけ強くなれるのです。
改善するといったことも同じなんです。
強さの獲得の中に、改善ということが含まれているのです。
弱いと改善する力も弱いです。
強いと改善する力も強いです。
なぜ、改善しないかは弱いからなんです。
では、改善するために、どの程度の強さが必要なのでしょうか?
それは、決して大男を倒すなど腕っぷしが強いことを意味しません。
ヒトとして当たり前の強さを持っていれば、十分なのです。
この点において、人は一昔前と思うと弱くなりました。
一昔前は、移動手段は自前の足しかなかったので、良く歩きました。
今は、乗り物が何でもありますから、人が本当に歩かなくなりました。
このように文明によって便利だとか楽だとかを手に入れたために、私たちは、自らの力で移動する強さというものを無くしてしまいました。
これでは、改善するための能力も衰えてしまいます。
私たちのご先祖は、自らの足で移動距離を延ばすことによって、体の形も機能も変化させてきました。
自らの足でたくさん歩く習慣がなくなってきた現代において、様々な疾患が増えてきたことは因果がないとはいえません。
私たちは健康な時、健康であるとことを意識することはありません。
ですが、病気になったとき、健康を取り戻したいと思います。
健康は私たちの体の中に、当たり前にあるわけではありません。
健康は努力していないと、どこかに行ってしまうことがあるのです。
文化はありがたいことですけど、そこでいい気になってしまって、大切な自らの力で動くということをしなくなってしまうと、健康を保つだけの
強さというものを失っていくのではないでしょうか。
新型コロナウィルスが、今私たちの社会を壊そうとしています。
感染拡大防止のために、在宅を余儀なくされています。
しかし、それだけでは、私たちは、当たり前に持っていなくてはならない力、立ち上がり動いていくという生存するための力が養えません。
人との距離を保って、感染拡大防止を図りながら、やっぱり私たちは、動かないと、免疫そのものも弱くなってしまって、いざ感染したときに、
病に打ち勝つことができません。
免疫力、体力とは、どんな行動で維持できるのでしょうか?
私は、歩くことに尽きると思います。