· 

腰の本質について

腰痛と一口に言ってみても、いったい腰の奥で何がおかしくなってしまっているのかというと未だ不明の域を出ません。

 

痛くて動かせないとなると炎症がある一定レベルまで広がっているということは言えるのですが、炎症が広がった理由がそこにあるはずなのです。

 

中で「何がどうおかしいか」のどうおかしいかが問題なのですが、自然におかしくなるわけではなく、そこには理由があります。

 

この理由を知るのにレントゲンを撮ったところで、分かることは「何がどうなっているか」が分かるに過ぎず、どうおかしいかという問いに、普通はこうであるのに対し、あなたはそうなっていないからおかしいという答えしか返って来ません。

 

これは、一枚の写真に写っている「状態」に対しての回答であり、何かがおかしくて起こった「結果の姿」への回答に過ぎないのです。

 

結局「何がどうおかしいから」この状態(結果)が起こったかに対しての関心がないのは、手術という方法での解決が優先されているからと思われます。

 

つまり、最初から方法論として優先順位が決まっていて、逆算して当初の観察期間があるというのが、通常医療と言えましょう。

 

実際に、何がどうおかしいかは、レントゲンで分かるものでもないし、外見的な形や、動かしてみてどうかを見て分かるものではありません。

 

外見的な形にしても、動かしてみた硬さを見ても、結果と

して起こっていることであって、「本質」をそこから知ることは出来ません。

 

本質を知るというのは、本来その部位が「何のために存在しているのか」ということが見えない以上、分かり得ないのであって、この何のためにを知るためには医学の範疇を超えて知ろうとしなければ何も出てこないのです。

 

そこには、発生学的な研究も、物理学的な研究も、霊長類という大きな枠での研究も必要になってきます。

 

必要に応じて研究を重ね、その中で少しづつ見えてくるのが、何のために存在しているか、本来のその存在目的です。

 

これこそが「本質」の意味であり、本質が喪失しているところに「異常」という概念がやっと生まれるはずなのです。

 

腰の本質は、決して形が良いとか、可動域が広いということではありません。おおよそ、本質が良ければ、形もよいし、可動域も広いのですが、形が良ければ本質が良い、可動域が広ければ本質も良いとは言い切れないのです。

 

 

早川整骨院は駅からまっすぐ15分で緑の看板がめじるし