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人の一生

こんにちは。関東直撃の台風がやってくる前のここ相模原は今朝からずっと雨です。

 

今日は、人の一生について考えてみたいと思います。

 

このテーマ、多くの偉人が扱ってきましたので、私がそこに肩を並べて語るような大それたことをするつもりはありません。

 

私がそのテーマに触れるのは、語る一治療家として人の健康をサポートする際に、どうしても心得ておかなければならない基本中の基本がそこにあるためです。

 

それが大枠としてあるから、治療理念が生まれ、施術法が決まってくるのです。

 

ですので、先人たちの人生学とは全く違う切り口で見た「人の一生」ということになります。

 

自然界とか宇宙とかのレベルで見ると、人類はその一部に過ぎないです。

 

自然や宇宙からすると、人間も、鳥も、魚も、象も、蝶々も同じ生物として一括りだと思います。

 

将来、人間は火星に移住するようになるなど言われますが、できたとしても地球に住んでいるように自由な生息が可能なわけではなく、非常に制約された条件、つまり極めて地球環境に酷似した条件を作り上げなければ無理なわけです。

 

人が地球や宇宙をコントロールすることはできない。

 

人類は、自然界の一部にすぎないからです。

 

自然の法則のもとには飲み込まれています。というか、全く一部に過ぎないのです。

 

自然界では多くの生物が存続しています。

 

長い時間の流れの中で、どの生物も子孫を残して種が絶えないよう生きていきます。

 

自然界のレベルで見れば、人類も他の生物も種を存続させて互いの種が共栄共存していく存在にすぎないと思いませんか?

 

人類第一主義(ヒューマニズム)などという考え方は傲慢で、とても地球や宇宙や自然界に敬意を払っている姿勢とはおもえないのです。

 

地球環境より自国の繁栄を願い、自然破壊を繰り返す。経済的発展は本当に人間の未来を保証するのでしょうか。

 

地球がおかしいというのは、昨今の自然災害、繰り返す大地震を考えれば、皆さんもお分かりかと思います。

 

大自然からすれば、人は自然界の存在する一つの種にすぎません。

 

この大いなる自然界の大原則から考えると、人の一生は、子孫を残すためにあるという言い方もできます。

 

しかし、なかなかそう思えいないのは、私たち人は、人間目線ですべてを見てしまうからです。

 

それがいけないわけではありません。

 

むしろ、人間目線で見るからこそ、積極的に生きていくわけですから。

 

自然界に生かされているというのでは、生きる意欲もおきません。

 

私が思うのは、人間目線で見て生きるにしても、大いなる自然界の一部であることを意識することで、人間にとって何が必要かが分かるという事です。

 

子孫を残すことが自然界における役割であれば、人間の豊かな愛情も理解できるし、人類史の初期において自らが生き延びるために、そして家族に食事を与えるために、二本足で歩いて長い距離の先まで狩りに出る必要も理解できるわけです。

 

私たちの姿かたちは、二足歩行を達成できるようになった頃から、あまり変わっていません。

 

大きな時間の歴史の流れのなかでは、一瞬に過ぎ去る私たちの人生は、大いなる大自然に中で次の世代に命をつないでいく作業が脈々と行われ、私たちは、自らが、家族が生きるために糧を得なけれが生存できない。

 

その為には、二足歩行で歩いて食を探し回らなけれがならなかった。そのころ、現代人と同じ歩行形態の二足歩行が出来るようになり、その時の人間の骨格が現代人とほぼ同じ骨格になったわけです。

 

人の身体が行動によって、その形状が変化した。

 

長い歴史の時間のなかで、少しづつ変化してそうなったのです。

 

人の生命を考えるとき、忘れてはならないのが、食べて生きていること、そして二足歩行で歩くこと、次の世代に生命をつなぐことです。

 

これが人の身体を通じて行われているわけであって、人の身体の中の命を営む機能もそこから生まれているのです。

 

人の中の命の営みを生理といいます。

 

ひとの三大生理である、補食・移動(二足歩行)・生殖は、人の身体活動を理解するうえで、外すことのできない基本的な活動です。

 

ご拝読、ありがとうございました。

 

早川整骨院は駅からまっすぐ15分で緑の看板がめじるし